過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

時代の価値観は変わりつつあるか。 男は家事育児もする。女は、政治もする。力仕事もする。

──日本て、男は仕事、女は家で子育てっていう観念が強いよね。
「でも、そう言っている男の人って、あんまり仕事できないでしょ」

──そうなんだ。
「仕事している男の人って、たいしてできないんですね。みていて、子育てしている女の人のほうが、時間がないから集中的に仕事ができるんですよ」

──男は、仕事のようなものをしているって感じで。えんえんと会議したり、効率悪かったり。まあ、会社に拘束されている時間がながいだけってこと。

男は会社の人以外に友だちがほとんどいない。住んでいる地域に友だちがいない。土日に遊ぶのも会社の同僚たち。なので、会社やめると、友だちがいない。趣味もないし。ゴロゴロしている。そこいくと、女の人は、地域に友達がたくさんいますね。よくおしゃべりしているし。

それと、“ママ友”っていますよね。友人のママ友たちは、幼稚園時代から30年も40年もつきあっている。よく一緒に旅したり、食事したり。

「“ママ友”は最強ですね。うちの旦那なんかは、“パパ友”なんてひとりもいない。“ママ友”はいろいろな世代の人がいるし、おかれている状況も違うので、“ママ友”からたくさんの情報が入ってきますよ」

仕事のよくできるキャリアウーマンとの対話。子育て体験している方だ。
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男は仕事ができる。コミュニケーションも論理的。視野も広い。女は、仕事ができない。感情的で視野が狭い。そういった、男尊女卑が強い国だと思う。

「戦後強くなったは女と靴下」という言葉が戦後の流行語なので、戦前の男尊女卑はすごかったと思あ。

こういう山里に暮らしていると、それを感じる。祭のときなど、男は酒呑んでぐだぐだ、女は台所でせっせとみんなの食事の支度。「おーい熱燗」「はいはい、お持ちします」みたいな感じ。こちらに移住してきて、かなり違和感を感じた。ぼくなど、台所で皿を洗ったり、おむすびをにぎったりするとびっくりされたものだった。

うちの父親など、台所に入ることはなかった。お茶ですら自分で入れられなかった。そういう育てられ方をしてきたわけだ。

たしかに、男で力仕事。あるいは、会社で稼いでくる。女は子育て、炊事、洗濯。そういう時代だったかも。それでいて、お事は仕事ができるのかというと、どうもアヤしい。社会がそのように男を優先してきたのかもしれない。
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いい会社にいて、地位が高かったりしても、そこをやめてしまえば、肩書なければ普通の人。会社の力学で出世したような人は、ワザもなければ、コミュニケーションも得意なわけではない。まあしかし、年金がちゃんとある人は、悠々自適だけど。

とはいうものの、定年退職すると男は、友だちがいない。趣味がない。コミュニケーションのとり方が下手。上下関係、力関係でみてしまうので、マウントの取り合ういになるので、ぎくしゃく。

女の人は、地域に友だちがいる。料理の仕方などそれぞれ工夫して研究する。子育て体験の忍耐力というかお母さんとしての余裕がある。
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時代の価値観は変わりつつあるか。
男は家事育児もする。女は、政治もする。力仕事もする(重機や機械が扱えれば、男も女も関係ない)。

この半年で、裁判のやら調停、仮差押などで裁判所に月に一度は行く。これまで、担当してくれた裁判官は三人、みんな女性だった。ソフトできめ細かくて威張ってなくて、じつに感じがよかった。

他国の政治を見ると、フィンランドなど、女性の首相は34歳も閣僚19人のうち女性が12人、男性7人。ちなみに、創価学会の副会長はたしか150〜200人くらい(?)いるが、女性は一人もいない。