過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

柳生博さんが亡くなった

柳生博さんが亡くなった。
よく清里の帰りに「八ヶ岳倶楽部」に寄った。いまでは清里はすっかり寂れて、八ヶ岳倶楽部のある北杜市大泉町が充実しているように思う。

初めてレストランに行くと、「あれ?柳生さんがいる」と驚いたものだった。訪ねるたびにいつもいるのだ。それはそのはず。柳生さんが経営者、柳生さんが設計した建物であり、森であった。

柳生さんは、俳優業よりも、ナレーションよりも、この八ヶ岳倶楽部の森を心から愛しておられた。

雑誌の取材で訪ねた時、奥様と一緒に5時間以上も語りあって、「このまま泊まっていけ」みたいな感じであった。

柳生さんは、剣術の柳生流のながれを汲む家系であった。
柳生家には「十三歳になったら一か月間旅をしろ」という家訓があった。中学二年生のとき、「夏休みの一か月間、帰ってきてはいけない」といわれた。

それで、何とはなしに八ヶ岳のふもとにやってきた。一か月間、夜は駅のベンチで毛布にくるまって寝て過ごした。その旅で、植物や動物、水、土、月、星など、たくさんのものを全身で感じとることができた。感受性がもっとも豊かな時だったから、感動的な一日一日。その感動を思いだして、住むならあのすばらしい体験をした八ヶ岳がいい、ということで作ったのが「八ヶ岳倶楽部」だった。

「この二十六年の間に、シラカバやミズナラなどの雑木を一万本以上植えてきたよ。重い枕木や大きな石を一つ一つ運んで、散策路を整備して、やがて、一ヘクタールの森の一角にギャラリーやレストランのある『八ケ岳倶楽部』をつくったんだ。

ここでは、木々を渡る風の音、山野草の可憐な姿、野鳥のさえずりを聞きながら雑木林を散策できるんだが、今では毎年十万人以上の人が訪れてくれるようになったよ。

落ち葉の上を歩くと、カサコソ、カサコソって音がする。孫には、それがとっても楽しいんだなあ。子どもは、大人の何千倍もの感じる力をもっていて、五官のすべてで自然を体験しているんだと思う。」

俳優、NHK「生きもの地球紀行」のナレーター、日本野鳥の会会長などを務めた。