過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

生徒にとって悲劇は、先生を選べないこと

学校の悲しさ。生徒にとって悲劇は、先生を選べないこと。

 

能力のない先生、指導力のない先生、そして、えこひいきする先生もいる。あかりの幼稚園の先生はとってもいい先生で、あかりは幼稚園を楽しんでる。それだけでも、ほんとうに宝だと思う。

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さてこれは、戦前の話。教師批判の目的で書いているのではなくて、そういう時代であったという事実。

 

Mさん(80歳)から聞いた話。

 

えこひいきの教師がいて、とてもつらかった。

たとえば、旅行に行ったお土産を特定の生徒数人だけに渡す。みんなが見ている前でだ。

 

渡された生徒らは、山林の地主のような金持ちの子ばかり。おそらくその親は先生に、つねに付け届けをしていたのだと思う。

 

私らのような貧乏人の子どもは、相手にされていない。そうと思うと、腹が立って腹が立って。いまでも、その先生のことはずっと覚えている。

 

それから、その先生は、生徒をぶんなぐっていた。竹の鞭で叩く。叩かれた生徒は、鼻血を出したりした。それでも、先生には逆らえない時代だった。

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Kさん(87歳)から聞いた話。

 

先生が級長を選ぶ。選ばれるのは、頭が悪くても、いつも山林地主など息子だった。えこひいきがあった。

 

ある先生は、平手で生徒を殴っていた。叩きすぎて「手が痛い」と言って、隣の生徒同士に殴らせた。その先生のことは忘れない。

 

村人が、ある小役人に、ものすごくペコペコしている。その小役人は、すごくふんぞりかえっていた。下にも置かない扱いだった。どうして、あんなに威張っているのか不思議だった。

 

あとでわかった。かれは、赤紙召集令状)を発行する係だった。村人にとっては、家の大黒柱、跡取り息子が招集されたらかなわない。

 

ある家では、乳飲み子を抱え、お腹の大きな妻が、涙をこらえて夫を見送っていた。その夫は二度と帰ってこなかった。村で出生した男の半数は、帰ってこなかった。

 

そうして、大地主の息子は、どういうわけか赤紙を逃れていた。その息子が教師などになっていた。