過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヘタな瞑想よりも掃除。草刈り。雑巾がけ。

草を刈ったり抜いたりすると、たしかに景観的にきれいになる。なにか自分のエネルギーフィールドができるような気もする。カオスだったところに、すこし秩序が生まれて、ちょっとした安心空間ができていくような気がする。

草を刈るのは、動作を通じて、自分の思い、心、気が入る。そのことで、なにか微細な質的な空間ができあがっていくように感じる。

フロアーを掃き掃除したり雑巾がけすることで、そこに地場というか、空間が落ち着いてくることにも通じる。

ヘタな瞑想よりも掃除。草刈り。雑巾がけ。それがよさそう。
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天理教の本部に早朝に行くと、両手両足を使って、雑巾で廊下をカラ拭きしている。教祖の数え歌(十二下り)を、まさに全身で歌いながら、何百人という人が磨いている。
汚れているから掃除をするんじゃなくて、まさに心を磨いているという感じだった。

禅の修行道場などに行くと、長い廊下を雑巾がけしながら、たぁーっと走っている。廊下は磨かれてピカピカ。足腰の鍛錬にもなるし瞑想修行にもなる。呼吸法でもあるなあと感心した。
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暮らしの場を、つねに磨いていくことは、心磨きに通じる。運気が上がっていくことになる。

それはわかるが、仕事がたくさんありすぎて、余裕なし。ということで、どんどんと乱雑になっていく。その歯車をなんとか、止めて逆回転しないといけない。それがとても難しい、難しいで日が暮れていく。
まあ、できないことは仕方なし。どんな状態でも、これでよしという心も大切と。