過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

お経や真言、お題目などを唱えていると、自然と倍音になってくる

モンゴルではホーミーという声の出し方がある。
オクターブ違う音を同時に出す。

そんなことできっこないと思うだろう。しかし、これがお経を日々よんでいると、可能になってくる。
お経や真言、お題目などを唱えていると、自然と倍音になってくるのだ。

声は、丹田(へその下)から響かせる。同時に、眉間から声が抜けるようになる。
これが、倍音になるんだと思う。
オクターブ違う声が響きあうことになる。

それは、唱えていて、自分自身が心地がよい。
声の響きで、身体をチューニングしていくようなイメージでもある。
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お題目(南無妙法蓮華経)や念仏(南無阿弥陀仏)というのは、繰り返し繰り返し、おんなじことばを唱えるわけだ。

それは、心を集中させる効果がある。
頭の雑念がフェードアウトしていく。あるいは、邪気が発散されていく。
吐く息は長く長く。すると新鮮なエネルギーが入ってくる。呼吸法としてもいい。

無駄なことは考えなくなるので、先案じ・後悔にとらわれにくなってくる。
やがて想念は、しばし停止していく。
するとエネルギーが集中する。
あっそうだ、というひらめきや洞察が生まれたりする。

マインドフルネスいうことばが、はやっているが、まさに「今ここ」体験が起きていく。
あれこれと価値判断しないで、いまここに「いる・ある」自分をまるごと体験する。
唱えているのは、今まさにこの瞬間。実のところ、この瞬間しか人生がないわけだし。
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声を伴った祈りということもできる。
それは、自分の願望とかやるべきことを明確にしていくことにもつながる。

なんとかしたい、お願いしますという祈りから入るにしても、深く集中していくと、達成の世界がリアルになってくる。その意味では引き寄せの法則の一つの実践法ともいえる。

さらに深く唱えていくと、そういった願望とか目標とかは、もうどうでもいい。大きな流れにお任せしますというふうになる。手放す、離れるというのか。

何があってもいい。何でもいい。祈って拝むことそれ自体が幸せになってくる。
これが不思議なことだが、そういう次元になると、願っていたものが達成されていくこともある。

※これらは、言葉で表現が難しい世界なんだけど、言葉化のトライアルとして。