過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

気楽に寄り会える場としてお寺 それがない

ひとりでずっと家にいると鬱になりそうだから、そちらの施設に遊びに行きたい。でも、足がないので迎えにきてほしい。

そういう方もおられる。まあ、ちかくなので、はいよ、いまからいきますよと迎えに行く。
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80代、90代というと、多くはひとり暮らし。つれあいは亡くなっている、子どもはまちなかで暮らしている。

足腰が弱いので外にも出歩けない。ましてやこの暑さだから、ずっと家にいる。だれも訪ねてこない。こちらから訪ねていく先もない。ちかくに店もない。

とくに用事もない。立ち話のできる相手がいない。寂しいので、朝起きたらテレビはつけっぱなし。

だれにも会うこともなく、話し相手もいない。行くところもないし、用事もない。
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山里のひとり暮らしのお年寄りというのは、孤独になりがち。そうなると認知機能も落ちてくる。

まあ、畑などがあれば、もくもくと草取りなどするというのは、健康にもいい。気晴らしにもなる。

気楽に寄り合っておしゃべりのできる場があるといい。しかし、そういう場があったとしても、足腰が弱いので歩いてはいけない。

送迎付きのおしゃべりのできる場が求められる。しかし、ビジネスにはならないので、民間にはできない。
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お年寄りも、子どもも、障碍者も、元気な大人も、だれでも気楽に寄り会える場が理想なんだけど、ものすごく難しい。

ほんらいのお寺というののは、そうした寄り合いの場としての機能があるはずなんだけれど、寺族の住まいになっている。檀家のための法要の場となっている。

インドを旅をした時、お年寄りが、お寺で日がな一日のんびりすごしているのをよく見かけた。台湾のお寺などでも、お年寄りが長椅子に腰掛けて、自作の鳥かごをもって自慢の鳥の鳴き声を聞いて談笑している姿があった。