過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

お寺がやすらぎの場。くつろぎの場。交流の場になっていた。

中国は上海、そして台湾しか旅したことはない。
ふたつは、思想的に相容れないけれども、感心したことがある。

上海では、あちこちの公園でお年寄りたちが、社交ダンスをしていた。音楽をかけて。

かつては、法輪功(気功法の一つ)が盛んだったと思うが、盛んになりすぎ、中国共産党を脅かすような勢力になり、大弾圧された。それで、社交ダンスなのかなあと思った。しかし、みなさん楽しそうに踊っていた。

台湾では、早朝の公園では、気功や太極拳をしている人がたくさんいた。
そして、お寺に行くと、みなさんお祈りしていた。お祈りの仕方がハンパない。心をこめて合掌し礼拝し、身体をつかって、参拝していた。

いずれも、日本ではありえない光景。いまの日本は、こうした場がほとんどない。祈る場はない。踊るなんて、みんなしない。
いずれも、日本ではありえない光景。いまの日本は、こうした場がほとんどない。祈る場はない。踊るなんて、みんなしない。

そうして広い境内では、長椅子を持ち込んで、お年寄りたちが昼寝。その枕元には、それぞれが竹ひごでつくった鳥かご。メジロみたいな鳥を育てて、その鳴き声を愛でている。自慢しあっている。

お寺がやすらぎの場。くつろぎの場。交流の場になっていた。

いずれも、日本ではありえない光景。いまの日本は、こうした場がほとんどない。祈る場はない。踊るなんて、みんなしない。