過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「すべては自分自身の現れ」ととらえる

政府のグダグダ、マスコミの長いものには巻かれろ体質、あれこれ文句言っても仕方なし。声高に言うほどの元気なし、体力なし、時間なし、金もなし。疲れるばかり。ということで、自分は自分で、日々を穏やかに生きていくしかない。

①「すべては自分自身の現れ」ととらえる。自分が自分のカルマを受けていると考える。

だれのせいでない。政府が悪い、システムが悪い、あれが悪い。これが悪いということもあるが、つまるところ、そういう世界に生まれている自分自身の選択と責任ととらえる。

②そのうえで、「清貧に生きる道」を探求する。つましい暮らしで食いつなぐ。日々自分の心を磨いていくしかない。心の財産づくり。

③「現実に直面」するしかない。現実に直面することでしか、現実を超える道はない。いまここのことをちゃんとやるということだ。リアリティに立った暮らしをする。

以下、ブッダの最古層の経典「ダンマパダ」から。

「 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついていくように」(1)

「順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、──鍛冶工が銀の汚れを除くように」(239)

「鉄から生じた錆が、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が自分を悪いところ(苦しみの世界)にみちびく」(240)