過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「心の病気ってなんだろう?」

「心の病気ってなんだろう?」松本卓也著 平凡社
中学生向けに語りおろしで書かれたもので、よみやすい、わかりやすい、そして深い。統合失調症の患者のところだけ、すこし抜粋してみる。
松本さんが書いているように、「ここだったら人に振り回されずに安心していられる」、「ここなら自分らしくいられる」、「自分が主体的に何かをできる」という、自分のベースキャンプ(基地)にいるような感覚がたいせつと。
あかりの子育てでも、あかりが「自分のベースキャンプ(基地)にいるような感覚でいられるような」存在でありたい。しかしまあ、限りなくわがままになっていくことでもあるので、そのあたりが難しいところ。
---------------------------------------
患者さんのご両親に聞くと、だいたい「小さいころは手のかからない子どもだった」と言います。「(中学、高校くらいの時期に)反抗期がなかった」と言うこともあります。
本人や家族の話を聞いていくと、患者さんは子どものころから自分がしたいことを自分の意志でやるというより、むしろまわりの人に合わせていたことがわかります。まわりの人がどう考えているか、まわりの人が今何をしてほしいのか、そういうことをすごく敏感に感じ取って、まわりに波長を合わせつづけていたという感じです。
「人に合わせる」と言うと、いいことのような気がしますが、別な言い方をすれば「振り回されている」ということです。「ここだったら人に振り回されずに安心していられる」、「ここなら自分らしくいられる」、「自分が主体的に何かをできる」という、自分のベースキャンプ(基地)にいるような感覚、言ってみれば「安全保障感」のようなものが、「統合失調症」の患者さんの幼少期には、薄いことがあるようです。
──安全保障感?
はい。自分のすべての基盤となるべースキャンプにいるときは、子どもは安心できますし、自分の好きなことやしたいことを主張したりできるものです。ところが、そのベースキャンプがしっかりしていないと、落ち着ける場所のない世界に放り出されたような状態になります。なので、まわりの人を一所懸命観察して、まわりに自分を合わせていくことによって、どうにか自分の生活を維持することになります。
船でたとえると、船は港に停まっているときはいかりを下ろしてロープ(もやい)で岸壁につなぎ止められています。つなぎ止められている限りは、そこから大きく動くことはないですから、船の上で安心して寝たり、飲み食いしたりできます。それがふつうの子ども時代だとしたら、「統合失調症」の患者さんの子ども時代は、岸壁につながれていないようなものです。いつもあらゆる方向から波が来て船も揺れるし、場合によっては転覆するかもしれない、という不安にさいなまれています。だから、ひとつひとつの波の様子を見ながら、波に自分が合わせていくことによって、自分の生活を維持しているのです。
──疲れそう。
大変ですよね。でも、お母さんやお父さんからすると、自分(親)が思っていることに子どもが合わせてくれるので、「育てやすかった」「反抗期がなかった」という印象になるわけです。
---------------------------------------