過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「あしあと」という詩 ともに歩むイエス

友人の自然写真家のエドワードさんの写真を見て思いだした。「あしあと」という詩。
キリスト教におけるイエスのありようをしめすもの。イエスは超越した救済者とも思えるが、聖書を読んでいると、いつも寄り添って歩んでくれ、苦しみをともに分かち合ってくれる人という印象が大きい。
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ざっとこんな詩だ。
エスは常に自分とともに歩んでくている。つらいときも苦しいときも。だから、つねに足跡は自分とイエスの二人。
しかし、自分が最も辛くて悲しい時、足跡は一つしかなかった。
「イエスさま、もっともつらいときに、あなたをもっとも必要とした時に、あなたはいなかった。どうして、一緒に歩んでくれなかったのでしょうか。どうして私を捨てたのですか。」
エスは言った。
「あの足跡は、私のものだよ。あなたがつらかったとき、私はあなたを背負って歩いたのだ」。
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原詩
Footprints
One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there
is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."
He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."


ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」