施設の利用をしばらく休んでいたTさん(86歳)を訪ねた。書類にハンコを押してもらう用事があったのだ。いまTさんは、夫が亡くなって喪に服している。来週、四十九日(満中陰)となる。
仏前に合掌礼拝。とっても、いい笑顔のお写真だ。
こういう写真を見ると、遺影はいいのを撮っておくのが大切と感じた。その写真を通してなにより遺族が安心する。
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せっかくお訪ねしたのだから、とお経をよませてもらう。
──ええと、お経本ありますか?
「そこの経机の中にあるよ」
どれどれ、あ、でてきた。曹洞宗の分厚い日常勤行要典だ。
Tさんは、となりに正座しておられる。あんまり長いと気の毒。
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お経をよませてもらったけれど、故人がお経をありがたがっているのかどうかは、わからない。
故人が霊的に、四十九日までまだこの世にいるとして、よろこぶのは、自分を偲んでくれる家族の心、話題にして語りあうことが供養になるのかなあ。
まあ、お経はそういう雰囲気づくりの、ひとつの精神統一というか、場作りの役目にはなると思う。よむほうからすると、なにより元気をもらえる。エネルギーが充電される。そんな話をさせてもらった。
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ああ、でもこれ書いていて思った。お経である必要はまったくない。たとえば「ふるさと」(うさぎこいし かのやま)とか「夕焼け小焼け」でも、なんでもいいと思った。遺族が心を込めて、歌えるものであれば。
そのこころが故人に通じるんじゃないかなあ。