毎朝、段ボールのゴミなどを焼却炉で燃やしている。炎を眺めると、とても心地よい。夕方、露天風呂を焚く。薪を燃やして炎を見ているのが楽しみ。炎のゆらぎ、赤く燃える薪、そして熱と光。最後には、真っ白な灰になる。熱い風呂にはいるのも喜びであるが、薪を燃やすプロセスがなんともありがたい。
以下は、唯識の横山紘一さんの文章から。
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私は最近、ローソクの火の如くに生きようではないか、と自分にも言い聞かせ、人にも提案しています。
ローソクは火をつけると光と熱とを発します。このうち光が「智慧」、熱が「慈悲」の象徴です。このように光と熱とを、すなわち智慧と慈悲とを発揮しながら、ローソクの火がもえつきるように、死んでいこうではないかと訴えています。
本当に、深層から、心の底から、すっきり、さっぱり、さわやかになれば素晴らしいことです。
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