過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

互いに、重荷を背負いましょう。そしたら、軽くなるし耐えられる

友人からケータイで「聞いてほしい」と連絡あり。「いまピンチ」だという。
カネでもなくなったのかと思いきや、妻が脳腫瘍でグレード2だという。医大で手術する可愛そうなことに、2ヶ月の胎児がいる。抗がん剤を投与するため、子どもは耐えられない。それで、堕ろすことになるという。毎日、見舞いのために病院の近くにも引っ越す。
さぞやつらかろうと思う。「ただ、一心に祈っているときだけは安心が得られる。そのことの気づきがあったよ」と言う。
「なにもしてあげられないけれど……」というと、「話を聞いてくれるだけで、ありがたい」と。
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そんな話を保母のOさんに言うと、「自分の子どもも2歳のときに脳腫瘍で亡くなった」という。
病院に9ヶ月、毎日、通った。この山里からは、一日がかり。その時、下の子は9か月だった。「だから、こうして子どもがいま生きてくれているだけで感謝している」という。
人はいろいろ、つらい過去や試練を抱えているし、体験してきているんだなあ。
いたそう、つらそうとは思う。けれども、相手のつらさ、苦しさは本人でないとわからない。年をとって、いろいろ経験してくると、なにんもしてあげられなくても、相手の気持はわかるようになってくる(若いときは、ほとんどわからずだった)。
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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。(マタイ11:28〜30)
エスの言葉として伝えられている。ちょっと訳に問題があると思うけれども(自分のことを心優しく、へりくだっているというあたり)、趣旨は伝わる。イエスは、「重荷を一緒に担いであげましょう」というわけだ。互いに、重荷を背負いましょう。そしたら、軽くなるし耐えられる。