過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

原始仏教でいう三法印(これぞ仏教という基本中の基本の意味)

①刻々と変化する。すべては。
まずは「自分の心」が変わる。「相手の心」が変わる。
「すべての条件」が変わる。
変化するのは常のこと。だから「可能性」があるとも言える。
 
②ものごとは「思うようにならない」。一部、思うようになることもある。が、やはり思うようにならない。
 
すべてが思うようにはならない。そう思っておくのがいい。思うようにならないことをベースにして生きていると、動じなくなる。執着もすくなくなる。
 
③「自分のもの」と思っていたものが、そうじゃない。自分自身ですら、自分のものなのかどうか、アヤしい。
 
「我おもう故に我あり」とデカルトは言うが、「おもう」のは自分の思いなのだが、自分ものと言えるのかどうか。自分のものならコントロールできるはずだ。しかし、それができない。
 
「おもう」を止められるか。止まらない。止められない。
「おもう」を始められることができても、変えるのもなかなか難しい。止めるのはいちばん難しい。だから、コントロールできない。すなわち、自分のもの、といえなくなる。
 
……なあんてことを、あかりと栗拾いしながら、考えてみた。③のロジックがいちばん難しい。
原始仏教でいう三法印(これぞ仏教という基本中の基本の意味)=「無常」「苦」「無我」である。