過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

孤立化していくお年寄りの橋渡し

山里は高齢化が著しい。高齢になると外に出歩けなくなる。ほとんど店も閉じているので、出会いの場というのが、なくなっていく。
お年寄りは、孤立化していく。話し相手がいない。訪ねない、訪ねてこない。お友達はテレビだけ、みたいな暮らしとなる。
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デイサービスで迎えに行くときには、集落の周囲をすこし寄り道して、ゆっくりとクルマを走らす。歩いている人がいたり、すれ違う人がいると声をかけたりする。
利用者さんが、「ああ、あの人は○○さんかしら……」という。ぼくは声をかける。クルマを停める。お互いに「おやまあ、ひさしぶり」「何年ぶりかしら」というような話が始まる。こうして、送迎のたびに、数人の人と出会って、立ち話(こちらはクルマ)となる。
ばったり出会う、旧交を温めるという感じがいい。わざわざ、その人の家を訪ねて話をするほどの話はない。手土産も必要ない。ぼくはその橋渡しの役割をするわけだ。
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ぼく自身もまた、いろいろな人に声をかける。馴れ馴れしく気安く声をかけるのは得意で、ストレスはない。
毎日、散歩している夫婦。ネコ屋敷の家主。足を悪くしてリハビリで歩いているおじいさん。空き家を取り壊していたら、その業者に。畑仕事していたら、なにを植えるんですかー。稲わらなど編んでいたら「祭りの準備ですかー」。そこから、いろいろな話に広がっていく。
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こうして、ネットワークは広がっていく。ただ、長話になりがちなので、「こんなにゆっくり話していて大丈夫かい」と、相手から心配されたりする。
出会いというのは、日々、人間観察、人生探求につながる興味深い物語を「読む」ことでもある。