過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

心はそれよりもひどいことをする

憎しみや恨みは、自分が自分に仕打ちをする、自分をいじめる。自分を蝕んでいく。相手にはまったく影響を与えることはないのに。
最古の経典である「ダンマパダ」にはこういう言葉がある。
「 憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。」(ダンマパダ42)
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ちょっと読むと、なにを言っているのかわからない。中村元先生の訳がすこしへんだけど、そこは置いといて。2つのありようを観察した。
①相手の悪想念を浴びると、どーんと疲れる。エネルギーを奪われる。
罵ったり、暴力をふるったりするが、憎む心はさらに攻撃を仕かける。悪想念を浴びせる。相手は、どーんと疲れる。
②憎む心、恨む心が、自分に対して攻撃してしまう。
いくら相手を憎んでも、届かない。相手は、へっちゃら。。相手が鈍感なのか、こちらの想念が弱いのか、それはわからない。
しかし、いちばんの問題は、自分が、自分を責める。いじめていくということ。
相手に浴びせた悪想念で自分がダメージを受ける。エネルギーが濁る。枯れる。
想念が相手に届いたとしても、自分もまた疲れてしまう。自分も相手も共倒れと。
「人を呪わば穴二つ」。他人を呪って殺そうと墓穴を掘る者は、その報いで自分のための墓穴も掘ることになる。
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どうしらいいか。
なるたけ会わない、かかわらないのが一つ。離れている。しかし、会わなくちゃいけないことがある。「怨憎会苦」(おんぞうえく)である。
「時を待つ」。憎たらしい、嫌なのは事実。それは自然と湧き上がる感情。なかなか穏やかではない。しかし、時がたてば静まる・収まる。
「祈りに集中する」。祈りに没入していくなかに、自然と融解していくことがある。煩悩の薪が燃えて、やがて灰になるように。祈り方、祈りの方法はさまざまだが。
「怒りが起きた瞬間を、とらえる」。観察する。怒っている過程で、はっと気づくことになるから。それが習慣化されると、怒りが収まりやすい。炎が拡大していきにくい。
「呼吸に戻る」。つねに、つねに呼吸に戻る。吸う息、吐く息をしっかりと体感する。それでかなり収まる。