過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「嫌な人、苦手な人とのつきあい方」スマナサーラ長老とのインタビューメモ

スマナサーラ長老とのインタビューメモ。「嫌な人、苦手な人とのつきあい方」について。フツーの雑談からのメモなので、公式の講話ではありません。
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イヤな人というのは、どこにでもいるものです。こちらが挨拶しても、挨拶を返さない人がいます。かといって、こちらも挨拶をやめてしまえば、人間な関係は閉じたままになってしまう。

その人は、自分のカタにあてはまらない、自分の尺度で測れないだけのことです。 だから、そのままほうっておけばいいんです。挨拶してくれなかったとか、そんなことはどうでもいいんです。

不機嫌な顔をして挨拶しない人であっても、道を聞けばちゃんと教えてくれるものです。わたしは、不機嫌そうな人にわざわざ道を聞いたことがあるんです。そしたら、なんということもなく、丁寧に教えてくれました。そんなものなんですね。 そしてまた、こちらが必死とわかれば、人は助けてくれるものなのです。

私たちは、あの人は頭が悪い、あの人は気持ちが悪い、あの人は嫌だ、肌があわない。そう思って、苦しんでいる。それは自分が苦しんでいるんであって、相手が苦しんでいるわけじゃない。だったら、自分の病は自分で治すことが肝心です。
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自分で治す方法があります。人間関係を、うまく解決していく方法があります。

それは、慈悲の瞑想を実践するのです。
イヤな人でも、自分をイヤだと思っている人も幸せでありますように、と念じます。その人の尊厳を認めて、慈悲の念をおくるのです。

ひとりひとりが幸福になりたい、成功したい、明るく生きていきたいと思っている。───そのことをしっかりと認めることなんです。

いやな人と出会ったとき、「あ、この人だって、明るく幸せで生きていたいんだ」と確認する。電車に乗ったとき、いろいろな人がいます。「それぞれがしあわせに生きていたいと思って暮らしている」と確認する。

電車の席で、となりの人がせわしなく動いていると、落ちつかない。「何だこの人は」と思ってしまう。そのうち怒りが出てくるかもしれませんう。そんなとき、「やはりこの人は自分の世界でしあわせになりたいんだ」と、思ってみる。そのとき、イヤな人という気持ちが、ほんのすこし消えるんです。

酔っ払ってまわりに迷惑をかけている人がいる。迷惑は事実なんですが、考えてみれば自分の自我だけが迷惑と思っている。酔っ払っている人にしてみたら、気分がよくて幸せでいたいと思っている。そう思うと「まあ仕方がない」ということになるんですね。

「うわっゴキブリだ、気持ち悪い、いやだ」。それは、自我のはたらきなんですね。「このゴキブリさんも幸せでいたいんだ」。そう思ってみるのです。
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まあしかし、すべての生きとし生ける者の尊厳を認めるといっても、毒ヘビを可愛がろうとするわけじゃない。どんな人とも親しく付きあわなくちゃいけない、というきまりはありません。イヤな人も幸せでありますようにといって、わざわざ呼んできてパーティをやることもないのです。

ともあれ、慈悲の瞑想を実践してみてください。