過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

板橋興宗禅師のお話から

板橋興宗禅師が亡くなられた。
10年以上も前にお訪ねして、2日間というもの、たくさんのお話をうかがった。おとなりで、坐禅もさせていただいた。
ちょうど、永平寺の福山諦法貫首が挨拶に来られて、お二人が相対してお話するところに居合わせることができた。
以下は、お話のメモから。
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「ひと息、ひと息の現実が、「ほとけ」さん
南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」など、それぞれお唱えすることば、信じる仏さまがおられることだろう。
自分が信ずるお念仏や、お題目があれば、それが最高だよ。
けれども念仏を唱えることで来世、極楽往生を願うのではなく、唱えている、その時その場こそが、極楽浄土なんだ。 
いま、ここに生きていること自体が往生なんだね。
ひと息、ひと息の現実が、「ほとけ」さんのひと息、ひと息なんだ。
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読経」ということじたいが、修行なんだ。
腹の底から声をしぼり出すように、全身全霊を傾けて読経してみればわかるよ。
いろいろな思いが出てきても、気にしない、問題にしないんだ。
問題にするから、問題になる。
気にするから、気になるんだ。
雑念が浮かんだら、ますます力をこめて読経してみることだ。
それが丹田呼吸の実修になっている。かならずや身心が爽やかになるはずだよ。
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風鈴がちりん、ちりんとなる。北風も南風にもなる。
こころの窓を開ける。ごく自然な、あたりまえのことだ。力の抜けた状態だ。
子供が石ころをぼちゃんと投げた。
こら! こいつめと追いかけていくのではない。
こら! あ、そうか。子供が遊んでいるのか、ま、いいか。
おお! それだけ。それが悟りの人だ。
良寛さんは、そういう人であった。
良寛さーん
おお
良寛さーん
おお
良寛さーん
おお
これが、良寛さんだ。
うるさいなー、なんだ、という心じゃない。そのときに反応している、それだけなんだ。
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仏法とか禅とか一切知らない人でも、良寛さんの魅力にひかれる。
そこが、良寛さんが本当の解説者たるゆえんだなあと感心させられる。
良寛さんの漢詩も読めない人、解脱ということを聞いたことのない人でも、良寛さんと言って、敬愛した。百数十年たった現在でもその人気は衰えない。
やはり、一切の理屈をはずれた本ものだったんだ。
良寛さあーん」と子供が叫ぶと、「おおーい」と返事をする。
太鼓が鳴ると太鼓につられて出て行く。
「なんまいだ、なんまいだ」と言う人が来たら、自分も「なんまいだ、なんまいだ」と、ひびきを返す。
それほど頭が空っぽな人なんだ。理屈や固定観念のはずれた人なんだ。