過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

謡や唱歌もいいじゃないか

きょうも雨だ
 
雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた
雨がふります 雨がふる
いやでもお家で 遊びましょう
千代紙おりましょう たたみましょう
雨がふります 雨がふる
けんけん小雉子(こきじ)が 今啼(な)いた
小雉子も寒かろ 寂しかろ
雨がふります 雨がふる
お人形寝かせど まだ止まぬ
お線香花火も みな焚いた
雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる
『雨』(作詞:北原白秋 作曲:弘田龍太郎)大正8年発表
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施設ではよくこの歌をうたう。
それと「雨ふりお月」、「あめあめ ふれふれ かあさんが」。もうすぐ7月なので「ささのはさらさら」と七夕の歌。5月は「夏もちかづく八十八夜」だった。
童謡と唱歌は、みなさん喜ばれる。
みんなで歌える。呼吸があう。なごむ。心がこもる。
子供のころ覚えて、長い間、何度も何度も歌い続けてきたわけだ。そうした思いが込められた歌、歌、歌がたくさんある。
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そういえば、母は「夏もちかづく八十八夜」の歌が好きだった。亡くなるときまで、ベッドのそばでハーモニカで演奏したり歌ったものだった。
人が亡くなろうとする時、あるいは亡くなったあと、なにもお経である必要はないなあと思う。
陰々滅々としたお経はそれなりに雰囲気は出るものの、意味もわからない呪文のようなもの。
聞いている人も死んでいる人も、中身がわかりはしない。もしかして、お坊さんも意味をよく知らない。
読む人、聞く人、死んだ人、だれも意味がわからないというのも不思議な話だ。いや響きとしては、悪くないんだけどね。
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そんなお経もいいけれど、こうした童謡や唱歌もいいじゃないか。亡くなるときに、こうした歌とピックアップして、みんなで歌えばいい。
キリスト教の場合には、「主よみもとに近づかん」(賛美歌320番)など、すばらしい曲がたくさんある。タイタニック号が沈没してもうおしまいだという時、楽団がこの賛美歌を演奏しながら沈んでいったという。
ふるふる雨を眺めてそんなことを考えた。