過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里に移住してわかった、ざんねんなこと

10年前に東京から山里に移住してわかった、ざんねんなこと。
 
①森があると思っていた。
森はあっても、人工林だった。紅葉することはない、生物も棲まない。
60年前は、やがてお金になると思って、わざわざ広葉樹を伐採してスギ・ヒノキを植えた。その人工林が育つ頃、もう木材は売れない。
で、森林は放置。生物の棲まないい鬱蒼とした森ばかりが広がる。
 
②清流があって、魚がたくさんいるはずだった。
清川は流れるが、じつは魚はほとんどいない。
かつての気田川は、鮎の大群が押し寄せてきて石を投げても鮎が取れたという。
夜に捨て針を置いておくと、翌朝には天然の鰻が10匹も20匹もかかっていた。いまは、稚魚を放流する。その鮎を釣りにくる。釣り堀みたいなものだ。
どうしてそうなったのか、「ダム」ができたからだ。稚魚が遡上できないのだ。ダムによって、農業用水ができ、川の氾濫も防げたかもしれない。しかし、生物多様性のない川となった。
また、ダムによって砂の流れは止まり、海岸に広がる白浜、大砂丘はほとんどなくなってきた。いまはダムから砂をすくっては、海岸近くに運んでいる。焼け石に水のような。
 
③野原や畑がある。のどかな田園風景とおもっていた。
高齢化が進み、耕す人がいない。農薬と除草剤で、メダカもフナもタニシもザリガニもいない。スズメも見ない。元気なのは、カラスとカエルか。
耕作放棄地は太陽光パネルがひろがってゆく。山林にはメガソーラー。荒涼たる風景になってきた。わがやの隣も近々、設置されるとか。数十年後、これらの太陽光の残骸はどうなるか。
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リニアの工事によって、大井川の水量が落ちていく。
企画するときには、うまくいく、みんな儲かる、地元も潤う、生活が便利になる。そういう思いがあったとしても、あとでわかってくる取り返しがつかない自然破壊、暮らしの破壊。