過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

人生は常に未完。未完をもって「完」とする

志村けんが亡くなった。人工心肺という時点で、もうのぞみはないと思っていたが……。
そうして、これは他人事ではない。自分に起きる現実だ。志村けんのような大金持ちは、人工心肺、集中治療室がつかえるが、わたしなどは人工呼吸器も人工心肺も使えることはない。
医療処置もされず、家で死んでいくことになるだろう。しかし、コロナに感染して症状が出れば、1週間〜10日間。がんで延々と苦しむよりもいい。発症して10日とハラを決めれば、それはそれでよい。
いろいろ手付かずのことがたくさんある。しかし、死ぬときは死ぬ。断捨離とかできない。仕方がない。それはそれでよい。
死んだらもうこの世界とは関係ないよ。この世は夢のようなものだ。死んだら、目覚めるようなものかもしれない。目覚めたら、次の次元、次の世界かもしれない。あるいは無かもしれない。それはそれでよい。
人生は常に未完。未完をもって「完」とする。