過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「死ぬ」という現実=リアリティがつきつけられる時代

「死ぬ」という現実=リアリティがつきつけられる時代になってきた。
親しい人が死ぬ、家族が死ぬ、そして自分が死ぬ。
そして、いつそれが訪れるのかわからない。
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経済が成り立たず、食べ物がない。食うや食わず。食べものを奪い合うようになるかも。
殺伐としてくる。生きる支えがない。やがて文明が崩落、いや人類が滅亡するのかもしれない。 
そんな恐ろしい現実が夢物語ではなく、ひたひたと迫ってきている。そんな予感のする昨今。
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若さがあり、健康であり、経済的に余裕のあるときには、そんなことは考えない。
つまらない事件、ゴシップ、スポーツ、娯楽の世界などにうつつを抜かしたりしている。
しかし、いまのようなパンデミックが起こり、自分たちにも死がの現実が迫ってくるとなると、意識の変革が起こらざるを得ない。
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生きていく、食っていくとはどういうことか。
親しい人を失うとは、どういうことか。
自分が死ぬとは、どういうことか。
なんとか食っていければいいのか。それには、どうしたらいいのか。

 

自給自足はどのようにしたら実現できるのか。
都会で暮らしていいのか、田舎はどうなのか。
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生きているというのは、そもそもなんなか。
なんのために生きているのか。
死んだらどうなるのか。
それで、もうおしまいなのか。
それでいいのか。
いまのこの自分のありようで死んでいっていいのか。
さてさて、どうしたらいいのか。
どのように日々暮せばいいのか。
どういう心構えが必要なのか。
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そういうことが、現実的に迫ってくる時代となってきている。

 いわば、「枢軸時代」を迎えつつあるのかもしれない。

新しい夜明けが起きていくのかもしれない。わからない。
……そんなことも含めて、ZOOMでのテレビ会議、座談会、ネットワークづくりをやっていこうと思います。
本日、21時から「臨死体験と死の看とり、ゼロ葬の道」をテーマに語り合いを行います。40分前にURLを投稿します。参加ご自由。