過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

断食死のすすめ

利用者さんと、よく「死んだらどうなる」「どうやって逝くか」という話になる。みなさん80代、90代なのでリアルな思いだ。
「ころりと逝きたい」と、みなさん言われる。まあしかし、「こればかりは、わからないよね」というところに落ち着く。
--------------------
むかしは、在宅死が8割だった。祖母も風呂で倒れて、脳溢血。そのまま2週間臥して亡くなった。平穏な死に方であった。柔和な微笑みのまま亡くなった。
日本では病院で亡くなる人が8割。医療に関わると、かえって苦しみが増すような気もする。
平穏死のためには、なるたけ病院に行かないほうがいい。無駄な延命させられたり、点滴だ、栄養剤だ、胃ろうだということになると、これはつらい。
-------------------
ぼくは、もしもそうなったら、断食してこの世を去るつもり。
というのは、断食はこれまで二度も体験したことがある。ほとんど水だけ。働きながらつづけた10日間だった。20年も前のことだが。
そのときの体験でいうと、つらいのは3日目の夜まで。
4日目の朝から、急に爽快になった。なにしろ心身が軽い。とくに胃が軽いのには驚いた。
元気で体調がいいので、ジョギングしたり、縄跳びして断食していった。
-------------------
頭がすっきり爽快になるのには、驚いた。睡眠時間も少なくていい。食事を作る手間、食べる手間、消化のエネルギーがいらないので、すごく時間が余ってくる。
その体験からいうと、断食していけば、心身爽快で逝けるのではないかと思う。
そんな意味で、「死ぬ練習」としても、断食をまた体験していかねばと思う。しかしこれが、いざやろうとすると、かなりつらいのはたしかだが。