過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「 面々の御はからいなり」(歎異抄)

コロナウィルスの感染やら、その流れで経済的な逼迫やら、いろいろ懸念することがたくさん。
まあ、究極は「死ぬことが怖い」「死んだらどうしよう」ということにあるのかな。
しかし、死ぬことが、そんなに恐ろしいことで、たいへんなことで、つらいことか。
というと、その時になってみないとわからない。「 総じてもって存知せざるなり」(歎異抄)だ。
------------------
あんがい、死ぬという段になれば、平穏で、安らかで、安穏な境地になるかもしれない。
縁のあった人、家族、子どもと別れるのはつらいし、また残された人もつらかろう。
でもまあ、それぞれのカルマ(業)に従って生きていること。
---------------------
所詮は、「 面々の御はからいなり」(歎異抄)。そして、「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」(歎異抄)ということ。
このあたりの境地が定まってくれば、まあ、なにがあっても、それはそれとして、直面しながらたんたんとすすむことができそうか。
やってくる現実は、やってくるということ。それはそれで、直面していく。受け入れていくしかない。そんなことを妻と語り合ったのだった。