過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

折りながらなにができるのか、わからない。それがいい。

折り紙やっていても、たとえば、鶴なら鶴を折るときめる。すると、一つひとつの作業は、鶴が完成するための過程となる。
目標(鶴)に対してのステップ、作業、過程となる。
完成したらそれはそれでうれしい。だけれど、あんまり楽しくない。
折りながらなにができるのか、わからない。それがいい。
完成したイメージをもたない。一つひとつの作業は、完成のための過程ではなくて、そのものがいわば完成、達成みたいなもの。ひらめきと偶然が積み重なっていくわけだ。
そうして、まったく予想しないものができあがる。
昨日は、あかりと折っていて、星の形のキャンバスになった。クレヨンで色付けして飛ばして遊んだ。
きょうは、絵本になった。その絵本を読むことになった。
つねになにが起きるかわからない。ある程度予測はするものの、まったく予想もしないものができていく。
まあ、この人生もそんなものだ。一つひとつはちゃんと取り組んでいるのだが、この先、どうなるのかわからない。ひらめきと偶然、さらには神や宇宙のはからいみたいなものに、動かされていく。

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