過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

起きてくる現実とダンスしていくような感じで

子供のおもりはたいへん。体力がいる。勝手に一人で遊んでいてくれればいいんだけど、そうもいかない。
「おにごっこやろー」「おいかけっこやろー」「リヤカーでお月さま見につれてってー」。
──だめー。つかれているので、かんべんして。
「だめえ」。
ぜったいに許してくれない。
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疲れて寝ていても、枕をはずされる。髪の毛を掴んで起こされる。いたたたー。
痛いので、シーツをかぶって寝ていると、それを奪いにくる。奪ばえないとなると、泣き出す。起きざるを得ず。
──じゃあ、なにかつくろうか。絵をかこうか。
「いやだ」。
──あ、そうだ、鬼のおめんつくるか。飛行機とクマさんの家つくろうか。
「うん、いいよ」。
すこし、気が向いてきたようだ。
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といって、こちらは、なにをつくるというアテもない。
子どもとの遊びは、こちらでなにをやりたいのか、なにをしようとするのか、それすらわからずに始める。起きてくる現実とダンスしていくような感じ。ひらめきの連続。
肝心のお父ちゃん自身が楽しんでいないと、子どももおもしろくないだろう。
だから、自分で楽しむしかない。ありきたりのことじゃ、楽しめない。
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適当に反古紙をたくさんもってきた。描き出す。切り貼りする。
そのうち、折り紙からお星様の造形ができてきた。クレヨンで色を付ける。それを重ねる。まわす。飛ばしてみる。
そのあたりから、勝手に遊びだしていく。
ひとつ進むと、そこからまた進む。やれやれ。
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ともあれ、現実は、先のことはわからない。
明日になって、大地震だって、大津波だって、原発事故だって、核兵器だって、巨大隕石だって降ってくるかもしれない。パンデミックは起きてきている。
とにかく、起きてくる過酷な現実とダンスするしかないのだ。
なにごとも「思い通りにはならない」。それが、デフォルト(初期設定)。そうハラをくくっていれば、わりと楽しいこともあるだろうか。

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