過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

その人に起きていることは、まさに「リアルな現実」

今日のデイ。
高齢の利用者さんには、ときどき妄想が入ることがある。
ある90代の女性の方が、こう言っていた。
──こないだ、お坊さんが九州から来て、托鉢していった。ところが、その人が泥棒だったんだよ。
「へぇ、九州から。それはすごいね。しかも、泥棒とは……」
それはそれで、笑い話で済んだ。
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だが、こないだこういうことがあった。
──いま息子の嫁から無線があって、「ここの施設のものをわしが盗った」と言っている。ああ、こうしちゃおれない。いまから帰らなくちゃ。
血相を変えて慌てだした。いまにも泣き出しそうだ。
そんなとき、「そんなことないよ」「それはちがうよ」と否定しても、仕方がない。
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その人に起きていることは、まさに「リアルな現実」なのだから。
「そうなんだ。それはこまりましたね。たいへんでしたね」
「でもね、大丈夫だからね。大丈夫。大丈夫。
……ところで、そろそろ、寝ますか?」
そんな感じの対応になる。やがて収まる。
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ところで、これは宗教や信仰も似たようなところがある。
神を信じている人には、神は実在している。自信をもってぼくに語ってくれる。
そうしたとき、かなり違和感があるんだけれど、その人にとって実在しているのだから、否定することはない。
「神がたしかにおられる」という世界に沿って、語り合うことになる。その人にとっての神の体験を聞かせてもらうことにしている。