過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

右翼の王者、政界の黒幕たちが春野に来訪とか

児玉誉士夫(こだまよしお)が春野に来ていた、ということを書いたが、また、ある人から聞いた話。
利用者さんといつもの散歩コースで、私設の「まほろば文庫」に立ち寄る。たまたま、そこにいる人(Nさん)に聞いてみたら、すぐそこの近くが、児玉誉士夫の泊まった旅館だという。
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Nさんの言うには、こういうことだ。
50〜60年前のこと。泊まったのは、旅館「ふくずみ」。そこには児玉だけじゃなくて、笹川良一小佐野賢治も来ていたという。「政財界の黒幕」、「フィクサー」右翼の大物たちの揃い踏みである。
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経緯としては、浜松に拠点のある「反社会的勢力」の服部組(はっとりぐみ)の親分が連れてきたのだとか。
ひとつは、浜松につくられた競艇絡み(競艇の元締めは、日本船舶振興会のトップ、笹川良一)であり、その折に、火防の神の秋葉神社に参拝し、ついでに春野で渓流づくりをしようということになったらしい。
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これら右翼・フィクサーの略歴を紹介。
児玉誉士夫は、海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。この豊富な資金を使って、戦後分裂状態にあった右翼を糾合し、鳩山一郎など大物政治家に政治資金を提供した。
小佐野賢治は、国際興業グループ創業者であり、戦時体制下では軍需省に取り入って蓄財し、日本の敗戦後には駐留外国人相手の事業で成功。田中角栄との関係が「刎頸の友」と呼ばれ、有力な政商として知られた。政財界と「反社会的勢力」との橋渡しを行った。
笹川良一は、戦後は、連合国によりA級戦犯容疑者の指定を受け巣鴨プリズンに3年間収監。後に不起訴により釈放。モーターボート競走法成立に尽力し、社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)の設立に関与。モーターボート競走の収益金で造船の振興をすすめた。
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ともに、敗戦時の軍需物資にかかわる利権で莫大な財産を得て、自民党の血統に資金を提供し、政治権力とつながることで、大きな利権を得ていた
ちなみに、笹川良一の三男は、笹川陽平日本財団会長)であり、いまの政界とも密接。この画像は、笹川陽平氏が自らのブログで公開している。歴代総理と親しいことがわかる。(続く)