過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

イエスとブッダ

きょうはクリスマス。イエスが生まれた日。以来、2019年となるわけだ。
新約聖書』のなかで語られるイエスの言葉は、わかりやすい。親しみやすい。心に伝わる。
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エスは「共感性」の強い方と感じる。相手の苦しみを、自分の苦しみと捉えられる人。一緒に苦しみを背負うというタイプ。
人は真に共感してくれると、ほっとする。荷が軽くなる。それで、癒やされる。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイによる福音書
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エスからブッダに話が飛ぶ。
ブッダは「医王」ともよばれる。癒やしの力のある偉大なお方というような意味合いと思う。
漢字の「医」というこばをみてみる。「矢」という象形文字がある。
「気」というのか、「念」のちからというのか、それが「矢」のように相手の痛み、苦しみ、患部に伝わり、響く。そのことで、邪気を払い、瘀血を流し、結果として、病が治ることもあったろう。
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ブッダはそのようなことを、つねにしたとは思えない。
ベースとしては、慈悲の瞑想というのか、相手を思いやり、いたわる波動を発しているお方。
その波動に、包まれて、結果として病が治ることもあったろう。