過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夫によって魂の修行をさせてもらった、と語る

きょう出会った80近くになる女性との立ち話。数年前に夫を亡くされ、いまはひとり暮らし。
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近頃、友人と語るのは、「どうやってこの世を終えていくのがいいのか、葬儀はどうしよう、お墓はどうしよう」という話ばかりです(笑)。
葬儀などいりません。家族葬で十分。お坊さんもいらない。参列者もいらない。義理できてもらっても、うれしくもない。
理想的なのは、「あのひと、近ごろ見ないけど、どうしたのかしら?」「あれまぁ、もう死んでしまったの……」というような感じでいいんです。お墓もいらない。どこか海や山に散骨してもらいたい。 
そうだ、池谷さんにお経をよんでもらおうかしら。頼みますね。ついでに、散骨も。
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いつからひとり暮らしになったか、ですって。もう5年くらいになるわ。
夫は、とってもわがままな人でした。いわゆる「ぞんざい」な人。その親もまた、一筋縄ではいかないひとでした。
でもいま思うと、その、夫に育てられました。なにしろ、自分勝手でとんでもない人でしたからね。はじめは「相手をなんとかしよう、変えたい」とがんばったんです。でも、それは無理でした。
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あるときから、あきらめました。「人は変えられない。自分が変わるしかないんだ」。「どうにもならないこと。それをなんとかしようとするので、つらいんだ。いまは魂の修行をさせてもらっているんだ」そのように悟りました。
もう夫は亡くなりましたが、とてもいい修行をさせてもらったと感謝していますよ。そんなことがなければ、自分はどうしようもない、生意気な女になっていたと思うんですよ。
夫との修行のおかげで、人の痛みやつらさ、苦労などがわかるようになって、なんというか、救われたような気がします。自分で自分を救うって感じでしょうか。
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……そんな話だった。お喋りのうまい方で、人の話もよく聞く。さっぱりして、こだわりのない人。
こんど、うちの施設に遊びに来てもらうことになった。利用者さんとのおしゃべりを楽しんでもらう。みなさんを元気づけしてもらう役をお願いしたのだった。
こうして、デイの施設のサポーター役のひとをみつけては、つなげていくことを地道にしていく。これはまあ、意図してそうなるわけでもなく、ふとした出会い、そのときのひらめき、勢いによって、展開していくんだけれども。