過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「せん妄」「被害妄想」そして「伝説」「神話」に。

高齢者には、「せん妄」「被害妄想」が起きることがある。
たとえば「盗られた」あるいは「叩かれた」という場合だ。

いずれにしても、自分が被害に遭ったという意識である。
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「事実」でない場合がほとんどだろうが、本人はそのように思い込んでいる。なので、「それはちがう」と言ってみても修正は難しい。本人の心の中ではリアルな現実なのだから。

宗教を強く信仰している人に、「神や仏はいないよ」と言っても、聞く耳を持たないのと同様かな。

「ああ、そうなんですか。なるほど。それで、どうなりましたか?」と相手の文脈に沿って聞いて差し上げるしかない。「新鮮に共感をもって聞く」ということが、ひとつの解決法とも思う。
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きょうお会いした人は、ひとつの被害妄想を抱えていた。「○○さんから頭を27回叩かれた。それがもとで入院した」と言う。

すると、隣で娘さんが「おかあさん、入院したのは、ちがう話でしょう」とすかさず言っていたが。
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また、ある方は、こんな話をされた。
「きのう家に九州からお坊さんが托鉢に来た。ところが、その人は泥棒だった」という。

「へぇ、そんなことがあるんですね」と話を聞いていた。あとで、家族の方と、「そんなことって、ありましたか?」と聞くと、「いやいや、それは本人の妄想だから」と笑っていた。

また、ある人は、深夜に泥棒が入ろうとしたという。ところが、息子さんに聞いてみると、「自分が不在のときは、防犯カメラで録画していて、それを再録してみると、人が訪れた形跡はない。たぶん、母親の妄想だと思う」と言っていた。
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デイサービスで利用者さんと深く関わっていくと、その人の抱えている妄想というか、なにか文脈の歪みというものと出くわすことにもなる。そのあたりの処し方というのは、これはどうも難しいところ。

いずれにしても、「盗られた」「叩かれた」など、それなりに、なにか背景や引き金があって、それが肥大化して歪むということはありうる。

健常な人でも「逃がした魚は大きい」ということがある。「釣ったのは、こんなに大きな魚だった」という体験があったとして、「こんなに大きな」というその魚は30センチがやがて50センチ、そして1メートルにもなっていく。

それが人に繰り返し語られ、やがて本人の中で伝説化されてゆく。それが、子孫に伝えられて、「おじいちゃんは、クジラを釣りそこなった」というような話になっていく。ま、神話とか伝説のたぐいは、そういうところから起きていくと思うのだが。