精神世界で最も権威ある人、影響力のある人のトップ、それはローマ法王だろう。続いて、ダライ・ラマ、あるいはツツ司教、エックハルト・トールなど、いろいろな精神世界・宗教世界の指導者がいる。
------------------
ローマ法王は、全世界のカトリック教徒の精神的指導者である。その源泉は、イエスの弟子(12使徒)のペテロにある。ペテロが、初代ということになり、やがて「イエス・キリストの代理者」という権威になっていく。
「わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」(マタイによる福音書)
私の認識では、カトリック教会は司祭・神父を通して神とつながる。かれらを媒介とする。なので、法王や司祭に絶大な権威がある。
---------------------
いっぽうで、強大な権威となった教会に反抗して、本来のイエスの精神に戻ろうというのがアッシジのフランチェスコであった。聖書でイエスが命じている全てをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣することがフランチェスコの生活の全てとなった。「裸のキリストに裸で従った」のである。こうして修道院ができていく。フランチェスコ修道会、あるいはドミニコ修道会の流れである。
また、のちにドイツにルターが現れ、腐敗した教会権力に対抗した。神は、信仰によってつながる。「信によってのみ義とされる」(by faith alone)。誰でも、ダイレクトに神とつながることができる。司祭を媒介とする必要はない。いわば「万人祭司」である。
その基盤は、聖書だ。聖書に描かれているイエスの教えを指針として生きていくという、プロテスタントの流れを作る。かれらが、いまのローマ法王をどう見ているのか、興味あるところである。
------------------
ちなみに「ダイレクトに神とつながる」動き。これはイスラムも似ていて、イスラム教徒は、司祭を通してアッラーという神とつながるのではない。
ダイレクトに神とつながろうとする。そのときの基盤がコーランであり、日々の礼拝であり、ラマダンなどの断食など様々な実践がある。
------------------
仏教においても、基本はダイレクトに仏とつながるのである。そこに、僧侶や聖職者はいらない。パフォーマンスとしては、ありがたい存在かもしれないが。
自らが仏に祈り、仏のエネルギーを頂き、仏の教えを守った暮らしをする。それが本来の仏教であろう。