過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

合併した市町は、「統一人格」が不在の集落となった

合併した市町は、「統一人格」が不在の集落となった。

どういう決まりを作り、どういう予算をどう配分し、というような自主的な主権はなくなった。「寄らば大樹の陰」を選んだのだから、当然だろう。
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併合された大きな市の下請けに甘んじる。職員もまた地元でない人がローテーションで回ってくる。地域のことは知らない。「どうせ話しても伝わらないから」と、住民との意思疎通、温かい活発な交流は沈滞化していく。

地域の役人は、かなりの高給取りのうえ安定人生、地域のことは所詮は他人事。しかも、その地域に住んでいないわけだから、生活のリアリティがちがう。

地域住民が自分たちで「どうこうしよう」と思っても、そういう意見すら起きなくなった。いろいろ意見を通そうとすると、複雑で疲労する。

かつての独立した「町」としての機能があれば、町長に直談判、町会議員や地元の役人に伝えてなんとかしてもらおうという回路があった。

しかし、合併してからは、地域の協働センター→区役所→市役所……と。そこからまた、次々とやりとりが。その過程で気力と体力、時間を失う。あきらめてしまう。

○○長とか、みなさん定年前の定番の方が就任するので、「無難に」数年をやりすごすことがメインとなる。思い切って手を打つという冒険はしないだろう。ましてや予算も権限もなければ、どうしようもない。
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数ヶ月前に、合併しなかった隣町と、他の市からの議員から、講演を依頼されてお話させてもらった。合併せず独立している市町は、自分たちでこんなことしよう、あんなことしようと、議員も地域住民も、心意気が違うなあと温度差を感じる。

こちらの山里は、「なにをやっても、どうせ、もうだめだから……」と座して死を待つような感じは否めない。全国の合併した過疎地は、大方そのような感じではないかと思う。

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