過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死にそうな体験とか、深い瞑想とかのとき、感覚がものすごく鋭敏になる

あかりが寝るとき「暗くなると怖い」という。
子供の頃は、おかあちゃんもこわかったよ。
おとうちゃんもそうだったよ。
という話になった。

おとうちゃんは、怖くて、いつも布団をかぶって寝ていたんだもの。
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子供の頃の、ひとりで寝るときの怖さを思い出した。

布団をかぶって寝るとき、時間が経つとどこかでガサッ、ガサッと人が歩く音がする。
音が近づいてくる。止まらない。
うわわわ。だれかがくる。こわい。ど、どうしよう。
そういうときがあった。

しかし、実際はその音は、人の歩く音ではなくて、そばがらの枕の音。頸動脈の脈拍によって、そばがらが音をたてていたのだった。
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似たような話が、のちに、アンブローズ・ビアス (Ambrose Gwinnett Bierce)にあった。「アウル・クリーク橋でのできごと」という本だ。

主人公は、いままさに橋の上で、首にロープを巻かれて、銃殺されるところ。

すると、どこからともなく大きな音が響いてくる。
リズミカルな音の響き。鍛冶屋が金床を打つような音が聞こえだす。

何の音だろう。遠くから聞こえてくるのか、近いのかさえ定かではない。ひとつひとつの音が、耐え難く不安。やがて、気も狂わんばかりにになる。耳をナイフでえぐられるような痛みを感じる。悲鳴をあげそうだ。

しかし、男が聞いていたのは、自分の時計の音だったのだ。
そんな物語だったと思う。
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死にそうな体験とか、深い瞑想とかのとき、感覚がものすごく鋭敏になるんだろう。

千日回峰行を達成した酒井雄哉師を訪ねて聞いたことがあるが、6日間の不眠不臥、断食、水も飲まないで護摩行のとき、線香の灰が崩れるときの音が響いたという。