過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

電車の中での語らい

物言えば唇寒し秋の風」(芭蕉)。日本は、見知らぬ人と話をするというのが難しい。見知らぬ人に安易に話しかけると、怪訝な顔をされる。無視される、怪しまれる。ヘタすると通報されるかも。

ということで、見知らぬ人には、話しかけない。話しかけられても無視する、ということになる。
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昨日は、会議のために静岡にでかけた。いつもはクルマで行くのだが、会議の後に食事会があるというので、電車で行った。掛川駅までクルマで50分。駅の近くに車を駐車して電車で静岡まで。

ちょうどやってきた東海道線が「興津駅行き」だった。「はて?興津ってどこだ?ま、いいか。これに乗ろう」。静岡よりも先か手前かわからない。

隣の女性に聞いた。なかなか感じのいい人で、静岡の駅の先だと教えてくれた。
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途中、お弁当を買っていたので、電車内で食べていいのかどうか、わからない。
──ここで、食べてもいいと思いますか?
「う〜ん。やめておいたほうがいいかもしれませんね」

そんなことをきっかけに、いろいろ会話になった。
牧之原市相良(さがら)町に暮らしているという。浜岡原発が近く。御前崎市の焼却施設の誘致のことなど、話した。
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実家は長野の佐久市だという。千曲川の氾濫で災害にあった場所だ。

──それはたいへんでしたね。佐久市は冬はとても寒いけど、いいところですね。仕事していた会社(TDK)の工場があったので、よく行きましたよ。

「ええ!わたしは、そこの工場に勤めていましたよ。ビデオテープの品質管理の仕事をしていました」

──そうなんですか。ぼくは、海外の現地法人の生産手配の仕事をしていた時、よく工場に行きました。

「そうしたら、年代もほぼおなじようだから、どこかで会っていたかもしれませんね」。

工場長の名前とか、共通の人物名がでてきた。
──こんど、じつはデイサービスの仕事をやるんです。事業を継承するところです。

「そうなんですか、私はケアマネージャーをしてましたよ」

そんなこんなで、いろいろ話が弾んだのであった。
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たったの10分くらいであったが、いろいろと共通項があったのは不思議。並んで座っていたので、はっきりと相手の顔も見ていないし、名前も聞いていない。その方は、藤枝駅で下りていった。

若いときのように、もはやインドやバリの旅にでかけたり、ハイキングに行くことはないと思う。

だが、こうして仕事にかかわるちょっとした移動、寄り道したときの出会い。そんなところで、暮らしの変化を楽しむということになる。