過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死ぬまでに大変化なこと。死んだあと、遺族はいろいろな困難・課題に立ち向かう

田中さんのような心尽くしのいい葬儀を体験させてもらったので、世の「看とりとおくり」について、いろいろ考えさせられた。

死んでしまった人は、安らかにあの世に旅立つ。もうこの世とは関係ないわけだ。しかし、死ぬまでが大変ってことが多い。そして、死んだあと、遺族はいろいろな困難・課題に立ち向かうことになる。大きくは、次の3つかなあ。
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①「安らかに死なせてもらえない」。

肉体はこの世を去りたい。しかし、家族は医療におまかせせざるをえない。そうなると、平穏死が難しくなる。医者の使命としては「一分一秒でも永らえさせる」となる。

そこで、死にゆく人に必要ない栄養補給、誤嚥を恐れて胃ろう、さらには酸素吸入、点滴。時に心臓に電気ショック。なかなか安らかな死を迎えにくい。ここがつらい。
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②「葬式にやたらカネがかかって」。

さあ亡くなった。そこから遺族は大変だ。お坊さんは、この集落では、最低4人よぶことになっている。戒名も入れて、50万円くらいのお布施になるのか。日本の平均の葬儀費用は200万円余ときく。おカネがたいへんだ。

さらには、手伝ってもらった人に対する心遣い。親戚やら何やらの接待で、気を使う。こちらの山里だと集落の人が手伝ってくれる。そのためには、やはり食事の接待やらいろいろある。香典返しもある。

すなわち故人を偲ぶような心の余裕がない。愛する人を失ってすぐにこなさなくてはいけないこのイベントは、ちと酷い。

安らかに余裕を持って、シンプルに、心を込めてゆっくりとやれるといいのに。「夫の時には、そうした接待でもうこりごり。どうか私のときは、密葬にしてほしい。池谷さん、そのあたりたのみますよ」と近所の人に言われたりしてる。
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③「死んだ後の事務処理と遺産相続」。

行政への事務手続きがいろいろある。そして、なにより課題は「遺産相続」だ。

大した相続財産がなくても、兄弟間で揉める。あれれ、いつのまにか現金預金がつかわれてしまっている。いつのまにか土地が名義変更されている。介護した人に寄与分をどうするか。大学を出してもらったとか、 嫁入りする時に持参金を持たせとか、事業する時に親に借金して返してないとか。

そういうものを明確にして財産を分割しないと骨肉の争いになりやすい。これもまあ、一つの拷問のようなこと。