過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

百田尚樹「永遠の0」読了

百田尚樹永遠の0」読了。神風の特攻で散った祖父の最期を知りたいと、その孫が祖父の戦友を訪ねて聞いていく。530万部も売れたという。映画化もされた。
ストーリーそのものは、そんなにおもしろいとは感じなかった。ただ、戦争のさまざまな事実の記述において、学ぶべきところが多かった。
百田尚樹というと、右翼的で戦争賛美していると思われがちだ。しかし、この本を読んでみると、けっして特攻隊や戦争の賛美はしておはいない。人の命を軽んじた当時の軍部、愚かな戦術、戦略の虚しさが伝わる。
ブックオフで100円で買ったので、惜しみもなく裁断してScanSnapで連続スキャンした。それをGoogleDocumentでOCR(光学的文字認識)でテキストに変換。
エディターに保管しておくと、検索一覧でタテにヨコにとキーワードから読める。ぼくの中では、こうして読書の仕方は変わってきた。以下、引用。
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「あの頃の軍部は、兵隊の命など何とも思っていなかったのです。
先程、特攻隊で散った若者は四千四百人と言いましたが、沖縄戦での戦艦「大和」の海上特攻では一度の出撃で同じくらいの人が命を失っています。
「大和」の出撃は絶望的なものでした。沖縄の海岸に乗り上げて陸上砲台として上陸した米軍を砲撃するという荒唐無稽な作戦のために出撃させられたのです。
しかしそんなことが出来得るはずもありません。航空機の護衛もなく、一隻の戦艦と数隻の護衛艦が沖縄にたどり着けることなど、万が一にもあり得ないことです。
つまり「大和」もまた特攻だったのです。そしてこの特攻は「大和」の乗組員三千三百人とその他の小型艦艇の乗組員を道連れにするものでした。
この作戦を立てた参謀たちは人間の命など屁とも思わなかったのでしょう。三千三百人の乗組員たちそれぞれ家族がいて、母や妻、それに子供や兄弟がいる人間の姿を想像出来なかったのでしょう。
負けることがわかっている戦いでも、むざむざ手をこまねいているわけにはいかず、それなら特別攻撃で、意地を見せるという軍部のメンツのために「大和」と数隻の軽巡駆逐艦、それに数千人の将兵が使われたのです。
連合艦隊の誇りとも言うべき「大和」でさえ特攻で捨ててしまう作戦を立てる軍令部や連合艦隊幕僚が、予備学生を使い捨てることに躊躇するはずもありません。
うまくいけば、一人の人間と一機の飛行機で軍艦を一隻沈めることが出来るかもしれない。その一発の命中のために、数十機が無駄になっても仕方がないと思っていたのでしょう。
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永遠の0」(百田尚樹著)より

 

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