過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

さがしものはたいへん

どこにあるのかわからないものを探す、というのは大変だ。パソコン内のデータであれば、瞬時に検索できる。しかし、「モノ」は検索できない。広大な宇宙から探し出すことになる。

昨日携帯をなくした。まちなかに出かけた時に、紛失した。あの喫茶店か、あのお寺か、教会か、車の中か。鞄を持ち歩く時に道に落としたのか。分からない。

 
帰りのクルマの中で、携帯がないことに気がついた。クルマの中に落ちているかもしれない。しかし、外は暗い。公衆電話があれば、自分の携帯に電話して着信音から確認できる。しかし公衆電話は、いまどきどこにもない。

あの喫茶店かと思ったが、 やはり公衆電話がない。ということで、事務用品屋に寄って、理由を話して電話してもらうことにした。 しかし、そこにはなかった。お礼に懐中電灯を買って、クルマの中をさがす。やはり無い。

寄ったところに戻るにしても、クルマで往復3時間。しかし、そこにあるかないかわからない。もう疲れた。明日また考えよう。

 
朝になって、記憶をたどりたどりして行った。すると喫茶店ではない。とすると次に寄ったカトリック教会、あるいは日本山妙法寺、あるいは途中の道で落としたか。

そうこうしていると、カトリック教会から電話を頂いた。そこに電話を落としたのだった。パンフレット(神社・寺・教会カフェの企画)を渡す時に、するりと落としてしまったようだ。

ありがたい。やれやれ安心。しかしこの年末の忙しい時に、また往復3時間かけて取りに行くのも大変。年末年始は携帯なしで過ごすことにした。

 
その他、書類探しもある。じつは延ばし延ばしの確定申告を年末にしなくては、還付請求ができなくなる。そう思いつつ、遅いスタートを切った。

ところがさて支払い調書がどこにあるか、 源泉徴収票がどうしたのか、記憶が曖昧だ。あれこれ書類の山になった所に、あかりが「あそんでー」といって、お絵かきやらぬいぐるみやらで、遊ぶことになると、もうしっちゃかめっちゃか。

探し物の心労は「そこに、あるかのか、ないのかわからないこと」だ。そこがわかれば、ずいぶんとちがう。この部屋の中にあると分かっていれば、くまなく探せばいい。しかしこの部屋の中にあるのかないのかわからない。それを探すということになると大変だ。


ともあれ、間際になって行動を起こすと、切羽詰まって慌てて、妻とも争いのもとになる。 つねに余裕が必要だ。当たり前のことだが、なかなかそれができない。喉元過ぎれば熱さ忘れる。 そのことを痛感する年末である。