過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里暮らしの便利さと不便さ

山里の特徴は、なにしろ人が少ないことである。わが町春野は、4,400人。50年代の3分の1。10年で22%の減少率。そして加速している。当然、高齢者比率が高い。

仕事が無いので、若者はほとんどいない。活気はない。希望溢れる話は聞かない。もう春野はおしまいだよ、という話ばかりを聞かされる。まあ、これは全国の過疎地も同様と思う。本体である日本自体が、そもそも活気を失ってきているわけだから。

山里の活性化をどうしよう、システムがどうの、グランドデザインをこうして、行政がどうのという論はいろいろある。が、それは置く。

基軸は暮らしていて、自分が幸せをどう感じるか、にかかっている。自分の生き方として、いかに満ち足りることがでるかどうか

山里の不便さを数え上げればキリがない。まちなかまでクルマで往復3時間。電車はない。バス路線もそのうちなくなる。買い物したくても店はない。病院もない。

ま、それは一般論で、暮らす場所によってちがう。さいわいここの暮らしは、なかなか便利。買い物はほとんどはAmazonか通販。子育ては、保育所が近い。片道5分。あかりを肩車して送り、 お弁当を届け、おやつを届け、 そして迎えに行く。

預かってくれる時は、たった1人に対して2人の先生がつくこともある。 今日は子どもが3人。おやつ届けににいったついでに、保育室に寄って、ままごと遊びを眺めていた。

あかりと同い年の男の子は、言葉が達者だ。二人でちゃんと、コミュニケーションが取れている。ドーナツを食べますか。いただきます。オーブンで焼きました。ありがとう。おかわりをください。 ちょっと待ってくださいな。……そんな会話を眺めているのは、とても愉快でほほえましい。

保育所に迎えに行く。肩車をして歩いて帰る。きょうは、たのしかった?楽しかったよ。鬼ごっこをして遊んだよ。ままごとをしたよ。ときに「いっち、にー、さん、しー、ごー」と数えながら歩く。

お父ちゃん、小鳥歌うたってよ。はいよ。次にどんぐりの歌。はいよ。リクエストされると、親子で歌って歩く。これもまた、かけがえのない人生の一コマだ。

近くのデイサービスに、連れて行く時がある。こちらも徒歩3分。小さな規模で家庭的なところだ。お茶をいただいたり、時にはおやつをいただいたり。「今日は何の日」というお話を聞いたり、童謡や唱歌を歌ったり、体操をしたり。

まほろば図書館(私設)も近い。徒歩3分。 あかりを連れて行って、当番のおば様達とおしゃべりしたり、本を読んだり、紙芝居を見せたり、碁石で遊んだりする。

郵便局まで1分。診療所まで、徒歩5分。医薬分業もないので、全部で30分で終わる。緊急の時には、ドクターヘリがすぐ近くに降りる。ホタルのでる公園まで徒歩1分。気田川の河原まで徒歩3分。カヤック遊びをしようとしたら、すぐに漕ぎ出せる。

借りている田んぼまでクルマで10分。栗畑まで8分。ブルーベリー園は遠いが、20分。畑をしようと思ったら、事務所の横に、100坪ほどの土地を借りているので、来年からニワトリと家庭菜園のトライアル。

ということで、田舎暮らしがどうのこうのと、一概に言えない。そして、当たり外れもある。

山里に移住いる人には、いろいろな才能豊かな人も多い。自分で家を建てる。木工の匠。有機農法の若者

和紙や山繭の飼育していると、竹細工職人、新規就農の夫婦、陶芸家、手打ちそば、林業、さまざまな人がいる。そういうネットワークをもてば、たのしい。

しかし、集落によっては、ウマのあわない人もいる。挨拶しても、挨拶を返さない人がいたりもする。親しくなろうと思ってくれない人もいたりする。

これは、他の田舎でも、都会でも、どこに日本いたるところ人間がいる以上、そういうようなことはある。それはそれで、ひとつのカルマ、人間観察。不愉快な扱いを受けても淡々として生きていく心の訓練になる。