(2)(続き)どんな人が牧師になるのか。牧師を道を歩んだ方に、いろいろ聞いてみた。
牧師の家に生まれたので跡を継いだという人は、ほとんどいなかった。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
この点、日本のお寺などは、ほとんどが世襲である。お寺に生まれたので、後継ぎとして僧侶になったという場合が多い。
信仰によって、解脱道として道を歩むという場合は、かなり少ないと思う。(僧侶となることで、人格が磨かれていくということはあると思うが)
牧師たちは、どういうきっかけでその道に進んだのだろう。聞いてみると、なんらかの宗教的な体験(啓示があったとか、夢をなんども見たとか、イエス教えを歩むしかないと決めたとか)があって、その道を進んでいる。
収入が保証され、楽ちんで安定した暮らし、というわけではない。かなり茨の道だと思う。しかし、あえてその道を歩んでいる。
なかには、東大を出て、企業には就職せず、清貧の牧師の道を歩んだ方もおられた。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
信徒の人たちの顔ぶれはどうか。
きょう電話でやりとりした教会は、7割ほどが、外国人だという。欧米人、ブラジル人、韓国人、中国人など。
さらには、ブラジル人の教会を間借りしている教会、在日韓国人の教会、ブラジル人の教会など、いろいろあった。
いま、外国人労働者の就労の問題がマスコミに取り上げられているが、浜松の教会など、かなり以前から、多文化共生となっているのだった。(続く)