過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

酒を断って4年

コラムニストの勝谷誠彦が亡くなった。57歳と若い。アルコール依存症による劇症肝炎で死因のようである。

酒に依存する気持ちはよくわかる。憂さ晴らし、つらいとき、たのしいとき、暇な時、とにかく酒を飲んでいると、いい気分。忘れられる。適当な酒であれば、人間関係も円滑になる。ほろ酔いが気持ちがいい。気分も大きくなる。頭が働いて、発想も豊かになるような気もしてくる(実際は違うと思うけれど)。

酒を飲む人は、毎日欠かさない。酒量は増えていく。さらには、何かというと飲むのが、日本の文化みたいなところがある。祭、結婚式、葬式、同窓会、忘年会。火葬場ですら、遺骨になるまでの待ち時間に、ビールなど飲んで談笑している。ほんとうはお茶や水を飲んで、語り合えばいいのだと思うけれどね。

酔っ払いと話をすることもあるが、かれらの話は、無限ループする。しかも、へんにからんだり、怒りだしたり、説教を始める。そうして、翌日は覚えてない。なので、酔っ払いと語り合っても、暇な人生ならいざ知らず、時間がもったいない。離れることにしている。

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山里暮らしの友人が、お酒に依存していて、やめられない。ついには、栄養不足で骨粗鬆症になって腰骨が折れてしまった。たまたま訪ねたとき、玄関前で倒れていたので救急車を手配した。

入院したときには、酒もタバコも止めたので、えらくスッキリしていた。それまでの話のスピードよりも、反応が早く軽やかだった。本来の彼はこんなに明晰であったのかと驚いか。しかし、退院したので、また酒をびたりになってしまっているだろうと、心配だが。なにしろ山奥だし。

作家の中島らもなど、かなりの酒浸りであったが、それでもなかなかの見事な語りと文章であった。これが酒を離れたら、もっともっと優れたものを残していただろうなともったいない。彼は酒を飲みすぎて、ついには、階段から落ちて脳挫傷で亡くなった。彼もも勝谷誠彦とおんなじ灘高卒の秀才であった。

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かつて私も毎日飲んでいたが、4年前から、まったく断ってしまった。一滴も飲まない。酒を飲んでいた時代を思うと、その頃は、頭は働きは鈍くて注力は散漫。生きているベースが無明という感じがする。ちょっと気を許すと、ぼっと眠りに入るようなところがあった。

酒を断つには、一滴も飲まないのがポイントだ。「たった1杯でもいいじゃないか」というところから、なし崩し的に、1杯が2杯に。そして、ビール1本が2本、3本と増えていく。いまは、飲みたいというまったくない。眼の前で酒盛りが遭っても、へっちゃらである。

ともあれ、健康のためにも、無益なおしゃべりのためにも、生きている黄金の時間のためにも、無駄遣いしないためにも、酒とタバコは、ぼくには全く無意味のものとなった。