過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

石地蔵作家の土屋誠一さんと、陶芸家の鈴木青宵さんの合同作品展

石地蔵作家の土屋誠一さんと、陶芸家の鈴木青宵さんの合同作品展にいった。

お二人の作品は、写真のようにすばらしい。死んだら有名になって作品が売れるという芸術家が多い。ゴッホにしてもゴーギャンにしてもそうだ。

死んだ後に有名になっても、もう自分はいない。生きてるうちに有名になったほうがいいい。

しかし、最近はそういう気持ちはなくなってきた、と土屋さんは言う。「有名にならなくてもいい。いい作品を作っていきたいだけ」と。
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でもやはり、いいスポンサーがあらわれるといい。暮らしの心配をしなくて、創作に打ち込めたら、もっといい作品ができる。

かつての日本は、山主や事業で成功したお金持ちが、書生をたくさんかかえたり、コツコツと研究者する人をサポートしてきた時代があった。そういう話を向けてみた。
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土屋さんが言う。もしもスポンサーがいたら、東北大震災の供養のためにお寺を回って、コツコツと石の地蔵を作りたい。そしてまたお寺を紹介してもらって、そのお寺でまた石地蔵を彫る。そしてもまた紹介してもらって、次の寺で石の地蔵を彫る。

地蔵の素材は、地元の石を使い、地蔵はそのままそこに置いてくる。 そんな円空のような、木喰上人のような暮らしをしてみたいと言う。
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ぼくは言った。いいね、それは実現するかもしれない。
ぼくにはこんなビジョンが浮かぶよ。

土屋さんが今日も朝からコツコツと石を彫っている。あれ、いつしか音が聞こえなくなった。静寂だ。土屋さんは、石ノミを手にしたまま、動かない。

おーい土屋さん、どうかした? 声をかける。しかし、返事がない。
近づいてみと。あれ、息をしていない。死んでいる。土屋さんは、石を彫りながら往生していた。そんな最後が浮かんだよ。

土屋さんは、うん、そんな最後がいいね。そんな話をして、みなで笑いあったのだった。