過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日々が不全感。やろうと思ったことがほとんどできない

日々が不全感。やろうと思ったことがほとんどできない。その繰り返しである。これは私も妻もおんなじ。とくに妻はこの3年間。とにかく子供に手がかかる、世話がかかるというのが大きな要因なんだけど。

しかしまあ、そうもいっておれない。やるべき仕事の山を一つずつ、こなす。そのための頭の整理。やり方の整理。

最優先課題をあと回しにしている。大切なことは、ついつい後回しになる。やりたいこと、手を付けやすいことを先にしてしまう。
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ではどうするか。「今これをやるべきことはこれだ」として、そこに集中してやる。それだけのことしかない。

「やるべきリストをつくる」。付箋、手帳、FileMakerといろいろためした。やはり簡単なエディターに落ち着いた。

「仕事を具体的に分けていく」。やることか大きくて長期間だと、手をつけようとしない。なので、小さな具体的なすぐできる作業レベルに落とし込んでリスト化する。1,000坪の「草刈りをやる」としたら、機械を運んでくる。混合油を作る。この空き地だけやる。30分間つづけるだけ。というように。

「やり終わったら完了ゾーンに移す」。エディターのリストを、移す。せめて、これだけできた、これだけやってきたんだ、という納得と満足感のためだ。それがモチベーションになる。自己肯定感になる。

こうして、一つ遂げたぞ。やったぞ。完了したぞ。……それが、人生の幸せというものだ。人生の充実というものだ。それを積み重ねていくしかない。
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実践の心構え。やっぱりエネルギー源になるのは、「感謝行」。まずは、こうしてきょうも生きている。生かしていただいていること。何とかやっていけている現実。感謝の「意」(こころ)を念念継続していく。

そして、「今ここに生きること」。先案じしたり、あとを振り返らない。そのためには「呼吸に気づく」という実践。
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しかしだ。そうこうしているうちに、すでに秋になり、やがて冬になり、年が明けてしまう。それが現実。ほんとうにやりたいことができずに、人生が終わる。まあしかし、そんなものだ。

ま、できなかったなら仕方がない、何とかなる。人生、なんとでもなる。そして、実はどうでもいいのだ。そう思うしかない。せめて今日こうして生きられたというだけで満点。それで、いいのかもしれんね、と。