過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こうして自分にも人の心に共感するという広がりが出てきたのだなあと

運転免許の更新に行ってきた。2つくらいの子を連れたお母さん、両親が3組ほどいた。小さい子は家においておけない。預けられるところがなければ、連れてくるしかないわけだ。

違反者の講習など、2時間もある。子連れにはたいへんだ。別に、キッズルームがあって、同時中継しながら受講できるようになるといいとおもうけれども。

2つくらいのの子を連れたお母さんは、最後列でおもちゃを与えながら聞いている。子どもは退屈だ。声を出す。動く。それを制しながら、お母さんは聞いている。子どもの気持ち、お母さんの気持ちは痛いほどつたわる。

かつての独身時代には、そうした風景は、まったく気に留めなかった。むしろ、子供はやっかいでうるさいと感じていた。

わが子がいると、子どもたちの動き、それを世話する親の気持ちなど、手に取るように共感できる。それはまあ、いとおしいものだ。胸がじわあーっとする。

子供はみんな可愛い。たどたどしい言葉でお母さんと話ししている姿。よちよちあるく姿。そんなすがたを愛おしく感じられるのは、自分に子供ができたからで、これは体験して初めてわかったことだ。

かつては幼い子供やそのお母さんと、会話しようなんて思わなかったし、会話の糸口など見当たらない。それが、いまでは、子供に話しかけている。そのお母さんやお父さんに話しかけている。

まあ、こうして自分にも人の心に共感するという広がりが出てきたのだなあと思う。こうしたことが、ひとつの人生の幸せというか、彩りというか、奥行きというのか。そのあたりが、自分にはもっとも欠けていたところなんだと思う。