過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日暮れて道遠し。行き先わからず。けれど、日々歩むだけ。

12年間もサラリーマンをした。その会社がイヤになったら別の会社に移り、そしてまた別の会社と。それぞれ、大きな一部上場企業だった。若いので、そういうことができた。

しかし、会社人生、ぼくにはやはりダメだなあ。なにかちゃんとしたワザを身につけなければ……。そう思ったが、さて、何をしたらいいのか、わからない。

職安に出かけて、求人カードをながめていた。世の中にはいろいろな仕事があるものだと思った。

松竹の歌舞伎座で小道具を管理する仕事、真珠の養殖と営業、霊障に悩んでいる人の仏教カウンセリング、地獄の猛特訓の講師、就職する人の身辺調査の仕事、台湾での日本語学校の教師……。

たくさんあった。歌舞伎座で小道具係なんて、実におもしろそうだった。

若かったこと(そのときは37歳だった)、東京だということ、独り身で自由が効いたこと。いろいろ可能性があったわけだ。

そんなとき、縁のあったお坊さんから、出家しないかと誘われた。臨済宗日蓮宗真言宗からそれぞれ。

しかしまあ、インドに数年放浪して、考えればいいかとも思った。ダライ・ラマの養育係を務めたというカーギュ派の坊さん(カール・リンポチェ)からも、お前はここで出家しろと迫られたこともあった。どれもふんぎりがつかなかった。

そんなとき、2行の新聞の求人広告をみて、編集プロダクションに入った。たった一年だったが、本作り、雑誌の取材、映画づくりなど、いろいろ体験させてもらった。

それからフリーになって出版の世界に入るようになった。仏教書と医学書の編集やお寺や大学の新聞を作ったりした。いまでもほそぼそと続いているわけだ。

世の中、仕事はいろいろある。若ければ。大きくて安定した会社人生もいい。けれど、仕事を通してワザが磨かれるのかどうか、ワザが暮らしを支える。そもそも、その仕事が好きでないと続かない。力を発揮しえない。そこがポイントだなあと思う。

日暮れて道遠し。行き先わからず。けれど、日々歩むだけ。確実な収入と不確実な収入という両輪を 回しながら生きていく強靭さが求められる。