「入学試験に出題される現代文」みたいなものこそが、いい文章と思っている時代があった。なので、若いときはわかりにくい観念的な文章ばかり書いていた。いまはできるだけ、読みやすい、わかりやすい文章づくりを心がけている。
文章を書くにあたってのアドバイスで、司馬遼太郎は、次のように述べている。「一台の荷車には一個だけ荷物を積むようにしなさい」と。以下、「司馬遼太郎の考えたこと9」より。
文章を書こうとする若い人たちに、“センテンスは荷車のようなものです”と助言することがあります。
“一台の荷車には一個だけ荷物を積むようにしなさい。一個ずつ荷物を積んだ荷車を連ねてゆけばそれでいいわけで、欲ばってたくさんの荷物を一台の荷車に積んではいけません”といったりするのです。
読み手は、一つのセンテンスを読むのに一つの意味しか理解−もしくは感ずること−ができないものだと思うべきです。
入学試験に出題される現代文のなかで、一つのセンテンスに複数の意味を載せている文章がよくありますが、ああいうものは悪文だと思い定めるべきです。
さらにいえばこのことを訓練することによって関係代名詞を持たない日本語の不自由さをどこかで解決する道がひらけるように思います。
ただ、荷車の形は均一ではなく、大小長短が必要で、当然、荷物にも大小があり、軽重があることになります。
その荷車の列のつらね方−つまり大小や長短、もしくは軽重−をうまく按配することによって、文章全体に美的ななにごとかが作為でなくごく自然に出てくると思うのですが、たとえ不幸にして出なくても、悪い文章にだけは決してならないと思うのです。