過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

先の見えない混沌を楽しめるかどうかが、成長のひとつの目安と

「生きがいの創造」の著者・飯田史彦さんを、福島大学の研究室にお訪ねしたのは、15年前のことだ。

福島大学は、森の中にある広いキャンパスで、ちょうど桜が満開で、新入生の初々しい姿に触れて、なにか別天地のような感があった。

取材メモが出てきたので、ポイントの部分だけすこしまとめてみた。以下、そのときのメモから(文責 池谷)。

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生きている目的は、自分自身を高めるためにある。悩みや迷いを経験して、いかに自分を高めていくか、そこに人生の価値がある。私たちは、大いに悩んだり迷ったりする経験を積むために、生まれてきている。

思い通りにならないからこそ、価値がある。先の見えない混沌を楽しめるかどうかが、成長のひとつの目安になる。生きていれば、十のうち九つは悩みと苦しみだ。だから、そこにたった一つでも喜びがあったとき、光り輝く。

人は何度も生まれ変わって、地上でいろいろな経験を積むことによって、魂に進歩をはかっている。自分自身で納得のいくところまで、はてしなく修行を続けている。

この人生は、学校のようなもの。自分の進歩を確認し、証明するための場でもある。それぞれが、レベルに応じて自分に適した学びの形態を選んでいる。

自分のいる環境のすべては、自分が作り出している。ものの考え方によっては、全然違った世界になる。

どちらの道をとるべきかと、迷う。より悩みや苦労が多いような道を選ぶほど、頑張ってうまくいく。これは楽そうだという道を選ぶと、気を抜いてしまって思わぬ失敗をすることもある。けれども、どういう道を選んでも、そこには学びがある。

「自分はいかに学んだのだろうか」という尺度から反省すると、「逃げないで、もっと学ぶ方向を選べばよかった」と気がつく。

私たちは自分で人生の計画書を立てて、生まれてきている。この物質世界という修行の場に、繰り返し来訪して自分自身を高めている。

この人生は自分で選んできたものである。生まれる前に自分で作成しておいた「問題集」のようなもの。だから人生で出会う大きな試練は、自分で自分に与えたものと思えばいい。

いろいろな失敗をして、悩みや苦しみを体験することによって、愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学ぶ。人生には、さまざまな試練を経験することによって、気づくチャンスがたくさん用意されている。