過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自治会と祭と信教の自由について

自治会による神社管理費の徴収は信教の自由を侵害しており、憲法違反である。そのように判決に示された。

自治会と祭と信教の自由について」自治会の役員になった友人から相談を受けたので、すこしまとめてみた。

〈祭はほんらい神事である〉

田舎では、祭は伝統行事の中核にある。祭によって、人の結びつきがつよくなり、円滑になる。

祭は、ほんらいは神事である。神社が拠点となる。神主が祭礼を行う。神前に供物をささげる。神社から、神輿も屋台も繰りだす。

神社は宗教法人であり、祭礼は宗教そのもの。多くの神社は神社本庁という包括宗教法人に統括されている。

〈祭を運営するのは自治会〉

しかし、祭を運営するのは、氏子集団ではない。地域の自治会が主体となる。

集落の人々が、祭の経費を負担する。神社、神輿や屋台の修繕のための積立も行う。自治会費の一部が、それら神事に充てられている地域もある。

定例の集会で、伊勢神宮などの大麻が頒布されることもある。それらは「宗教行為」だと思う。

自治会を構成する住民は、神道を信仰しているわけではない。地域のつきあい、ならわしとして、続けているだけだと思う。

〈信教の自由の侵害にならないか〉

なかには、自らの信仰によって、神社に参拝したくない人もいる。しかし、自治会に所属している以上、自治会費を支払う。その自治会費が、神事にあてられることにもなる。

こうなると、地域の祭が、個人の信教の自由を侵害することもありうる。すなわち憲法違反である。

建前としては、自治会は任意団体であり、参加も不参加も自由。強制力はない。となると、信教の自由を侵害することにはならない。憲法違反ではない。

しかし、自治会というものは、田舎だとほとんどの世帯が加入している。自治会に入らないと、地域のつきあいが難しい。なかば強制力が伴うといえる。

〈過去の判決〉

集められた自治会費の一部が神社の経費にあてられるのは、信教の自由を侵害するものだと、裁判を起こした例がある。

裁判所は、こう判決を示した。(鳥栖市自治会神社管理費訴訟判決 2002年)

自治会による神社管理費の徴収は信教の自由を侵害し、日本国憲法20条1項前段、2項などに反する違法なものである。」

自治会は、強制加入団体とは同視できないとしても、それに準ずる団体である。よって、その運営は、構成員が様々な価値観、信仰を持つことを前提になされなければならない。」

神社神道のために区費の支払を余儀なくされることは、自治会への加入及び脱退の自由が大きく制限されているという現状に照らすと、宗教上の行為への参加を強制するものであったと認められる。」

ということで、神事を伴う祭の主体は、ほんらいは自治会とは区別された「氏子集団」で行うのが適当ということになる。

しかし、全国の自治会では、そのようなことにはなっていないと思う。

国家神道の残滓もあるか〉

こうした背景には、明治政府が天皇を頂点にして国家神道をつくり、全国の神社を系列化においたこと。

そのとき、「神社は宗教にあらず」という論理で、神社を「国家の宗祀」(国家が祀るべき公的施設)と位置づけ、神社神道を他の諸宗教とは異なる扱いにしたということがあると思う。

……小難しい話なので、なるたけわかりやすく書いたつもりだけど、やはり難しい。もっと、いろいろな論点があるかと思うので、いろいろな人の書き込みに期待。