相撲と女人禁制について、調べてみた。
すごいねインターネット、必要な論文が瞬時で出てくる。
むかしは、あちこち電話したり、大宅壮一文庫に行ったり、丸善にでかけたり。図書館に行って閲覧カードを調べたり、司書に聞いたりした。大きな図書館に閲覧申請の書類を出したり。
とにかく時間とエネルギーがかかった。そのうち気力が萎えて、おしまい。いまは瞬時に検索されて、すぐに読める。
吉崎祥司,稲野和彦(2008)相撲における「女人禁制の伝統」について,北海道教育大学紀要,人文科学・社会科学編, 59(1): 71-86,
こういう資料がすんなり読める。
以下、池谷が適当にピックアップして引用、文章も短くしている。とてもわかりやすい論文なのでダウンロードして読まれることをおすすめ。
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「相撲は、神道との関わりがあるから女性を排除する」という論理は、明治期以降に、相撲界による地位向上なとの企図にもとづいて虚構されたものである。
相撲が初めて史書に登場するのは,采女(女官)による女相撲。采女が雄略天皇に呼ばれ,その場で着替え,その場で相撲をした。(日本書紀)
1596年(文禄5年)刊行の「義残後覚」には比丘尼(びくに=尼さん)が勧進相撲の寄手として自由に相撲に参加できた様子が記述されている。
天明5年(1785年)の鎌倉山女相撲の資料がある。裸にまわしを纏った「女性力士」が二人、描かれている。
明治10年、内務卿の大久保利通から神社仏閣の境内での見世物興行の禁止の布達が出さた。
相撲はまだ「見世物」の一種とされていた。国技の地位ではない。「古くから神道との関わり」を持つというが、神社仏閣の境内から排除された。相撲界と神道とのかかわりは、単に興行場所が寺社仏閣だったにすぎない。
明治17年の展覧相撲の開催などで相撲禁止論は影を潜め,明治42年(1909年)に相撲は国技となった。とはいうものの、国技としての相撲の歴史は、まだわずか100年余。
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以上。
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/…/…/933/1/59-1-zinbun-06.pdf
https://browncapuchin.hatenablog.com/entry/2018/04/05/165255