過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

友人が創価学会の活動家を連れてくるという

友人が創価学会の活動家を連れてくるという。「洗脳を解いてほしい」というのが趣旨だ。

いやぁ、ぼくにそんなことはできっこない。そもそも信仰している人は、それが絶対で、なにがなんでも正しくて、信仰してない人は、ダメで地獄に落ちてしまう。そう強く思いこんでいるから。何を話しても平行線だよ。そう伝えた。

でも、近ごろの創価学会の人は、どんな意識でいるのか知りたいなあとも思った。それで、連れてきてもらった。

その活動家とやりとりしていたら、かつての創価の教義をほとんど知らないことがわかった。

かつての創価学会の信仰の中核は次の三つ。日蓮(かれらは大聖人とよぶ)が正しいという「日蓮本仏論」。御本尊がすごいという「戒壇の本尊(いわゆる大石寺にある板曼荼羅)」絶対主義。それに、先生(池田大作名誉会長)が絶対だ、すごい、正しいというところ。

ところが、その活動家に聞くと、「日蓮本仏論」って、はあ?「戒壇の本尊」って、はあ? という意識であった。

で、その活動家に、こう教えた。

あのね、そもそも創価学会というのは、日蓮正宗の在家の団体だったんだよね。すなわちその教義は、日蓮〜日興〜日蓮正宗とつづく教義をもとにしている。

まず、『法華経』が最高で、その究極は南無妙法蓮華経末法にあって、それを体現しているのが日蓮。その日蓮さんがあらわした板曼荼羅が究極で、それを拝めば幸福になる、成仏する。それが教義の中核だったんだよね。……というところから説明した。

すると、「ええー!なんで日蓮大聖人が本仏なんですか?」「戒壇の本尊ってなんですか?それを拝んでどうして救われるんですか?」と聞いてくる。

ので、ひとつひとつ説明していった。その上で、そういう教義はこういうことで、矛盾しているし、ここでああで、という話をしたことがあった。ややこしいね。

で、わかったこと。いまの創価学会のひとは、ほとんど日蓮の教学を学んでいないということ。基本教義を知らないということ。『法華経』も読んだこともなければ、日蓮の遺文もたいして読んでいない。

先生は、勲章をたくさんもらっている。名誉市民称号が世界からたくさん、みたいな話し。

では、池田大作さんの思想ってなに? というと、これがまた、わかっていない。というか、大作さんの思想というのは、なんなんだろう。ありそうでない。

大作さんは、たいへんなカリスマであり、事業家であり、組織者であるのはまちがいない。でも、その思想ってなんなんだろう。まあひとことで言うと、「仏法は勝負だ。断じて負けるな、勝て!」みたいなところか……。

平和だ人権だといっても、中身があるのかどうか。公明党も、平和主義のポーズを取っているだけで、いざというと、戦争反対の行動はとれないことでも、わかるような。

ということで、すこし日蓮正宗の教義と創価の思想を、調べなおしてみようと思い立つ。……ものすごく忙しい時、こうして仏教や宗教のことを書きたくなってくるもので。